N.G-Blog 気づいてる?新時代のベストアンサー

今までの『NG』が『ニューグッド』に!ニューノーマルな時代の歩き方を伝えます

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ルッキズムを一番促進させてるのは、アンチルッキズムの人達です。どちらも外見至上主義の『呪い』にかかっている

ニャンス
 

リーマン。髪長いにゃ

社会人なら短髪にゃ。見た目の清潔感が大事にゃ

そう?短髪あんまし好きくなくてさ

ちょい長めが好き。それに爽やかすぎてもなー

リーマン・マスク
 
ヒヨコ
 

リーマン。顔が男塾みたいだ

もっと韓流っぽいメイクをするべきぴよ

ワシが男塾塾生、リーマン・マスクである!

って、男塾なら大歓迎なんだけど www

韓流なんてこっちからお断りだわ。好みじゃないから

あっ、てかあの子可愛い!こんにちはー❤️

リーマン・マスク
 
ニャンス
 

また可愛い子見てときめいて。。。ルッキズムにゃ

人を見た目で判断とかサイテー

どんな見た目かじゃなく、中身で見ないとダメぴよ

ヒヨコ
 





リーマン・マスク
 

はい、お疲れ様でしたー

どうだった?二人とも

笑いをこらえるのに必死だったにゃ

矛盾だらけの発言役 www

ニャンス
 
ヒヨコ
 

思考力を一時停止しないと出来ない役よ

後で美味しいお茶ちょーだい



今日本を含め、世界で問題になっているのが
『ルッキズム(外見至上主義)』

そして、このルッキズムをなくそうという運動が

『アンチルッキズム』です

この新しい運動は、決して人も社会も幸せにしません
むしろ『不幸』と『衰退』の特急チケットです

理由は簡単


『間違った理論の為、間違いが起こる』からです

それ以上でも以下でもありません


そして何より『アンチルッキズム』の人達こそがルッキズムの『一番の信望者』であり、呪いにかかっているんです




なのでタイトル通り、ルッキズムを一番促進させてるのは、アンチルッキズムの人達です。


ですので、今日はその呪いを解き、人も社会も幸せになるように、ルッキズムとは何か?

そして、ルッキズムとの正しい付き合い方について伝えていきます
 

1・ルッキズムとは『外見至上主義』の事

ルッキズムという言葉を聞いた事はありますか?

ルッキズムとは『look+ism』
人の価値を外見によって決める事です

顏やスタイル

そういったモノが良い人は、人生の様々な場面で得をして、逆にそうでない人は損をさせられている


こういった事をもう止めよう

『外見で人の優劣を決める事そのモノを廃止しよう』


その思想から生まれたのが『アンチルッキズム』であり、今『ルッキズム問題』とされているモノなんです
 


2・ルッキズムの歴史と現在

このルッキズムというモノがいつから問題視されるようになったかというと、1970年代です
当時アメリカで、太っている事により傷つけられたという抗議運動がその始まりです

そこから時は流れ2019年
アメリカではミスコンで100年間続いていた『水着審査の廃止』が決定され、日本でも大学や自治体で開催されていたミスコンが廃止される場合も出てきました

また、2020年(2021年)の東京オリンピックの際に、その演出者がタレントの渡辺直美さんをなんと、ブタに見立てる企画を立てていた事が判明し、ルッキズム問題として炎上しました

www.tokyo-np.co.jp



他にも、テレビ番組での外見イジリも、ルッキズムを助長されるモノだとして扱われるようになってきています
 

3・ルッキズムの被害

この外見で差別をするルッキズムによって、今までどんな被害があったか?
その一例を紹介します


A・『摂食障害』


これは、痩せている事が正しい。美人だ。という想いから、極端なダイエットに走り、食事を食べる事を極端に避けるようになった結果、食べる事を心が拒否してしまう病気になってしまったモノです
世の中には、ネットやテレビ、SNSや広告で『こういうのが美人だ』というメッセージで溢れているので、自分もそれに近づけなければいけないと思ってしまうからです


B・『イジメ』


デブ・ブス・臭い・キモイとかの暴言を浴びせられたり、また、見た目がよくない事を理由にシカトや暴力を振るわれて苦しんだ人もいます
このイジメがトラウマ(心理的外傷)になってしまい、それが原因で社会に出られない人もいます


C・『日常での差別』


例えば面接での選考で、同じ学歴や資格の保有であれば、後は容姿のいい人の方が選考に通過したり、職場では容姿のいい子がミスをしても許されるけど、そうでない人がしたミスは許されない
場合によっては罵倒される

また、道を歩いていても、自分と全く関係ない人からブスだのデブだの傷つく言葉を浴びせられる


こういった見た目からもたらされる差別やイジメ、暴力
これからはこういう事を無くしていこう!という所から、ルッキズムに対する運動
『アンチルッキズム』という思想が生まれてきました


実際、これを読んでくれてる人の中に、こういう経験をされた人もいるかもしれません

ちなみに、自分もそうです
さっきこのブログの冒頭で冗談っぽく書いてましたが、あれは実話です www

実際、自分を知る人に話すと嘘だと言われますが、自分が多感な高校生だった頃は『GLAY』や『ラルク』の全盛期

細い、ビジュアル系男子がもてはやされ、自分みたいなガッチリした体型のヤツは
『リーマンさん、いかちーーー』
みたいな感じで全然でした www

後、ちょっと人と思考が違う事で嫌がらせも受けた事ありますし、友達もコアな感じでした

なので気持ちは分かりますし、見た目で差別なんてしない方がいいに決まってます



が、その上で敢えて言います

『ルッキズムをはき違えるな!』

 

4・ルッキズムは『人間の自然の心』だと知ろう

 

ニャンス
 

ちょっと待って

なんか、ここから逆にいこうとしてない?

ルッキズムをなくす事が、新時代のベストアンサー

それで終わりでよくない?

ヒヨコ
 
リーマン・マスク
 

確かに、その方が『ぽい』よな

けど、もしそれならわざわざ書かないよ

そんなん、今、他の人達が言ってるし、それがみんなの幸せに繋がる理論なら、わざわざこんなの書かんよ

けど、そーじゃないから書く必要があるのさ

たとえ叩かるとしても



A・デートの待ち合わせに『半裸スタイル』でもOK?

なので、ここからは『アンチルッキズムの弊害』について伝えていきます


まず、アンチルッキズムの呪いにかかってる状態だと、普通の例えではなかなか分かってもらえないと思うので、分かりやすいテーマで伝えます


デートの待ち合わせに、もし相手が『半裸スタイル』で来ても引きませんか?
と、いう話(テーマ)です





だって、ルッキズムがダメって事は、見た目で差別しちゃいけないんでしょ?
多様性が大事なんでしょ?

えっ?常識的に考えて?

それって『誰の常識』ですか?

アナタの常識は神の基準かなんかなんですか?


そしてもし仮に、デートに半裸スタイルで来ちゃいけないのが常識だとしたら『その人の気持ち』はどうなるんですか?
それを今流行りの『多様性の一つ』として認めてげれないんですか?

なにより、半裸の人の姿を見て批判するのは、それこそ『見た目で判断する』
ルッキズムってやつじゃないんですか?



ちなみに、自分はデートの待ち合わせに半裸ファッションなんて認めませんし、オススメもしません www

また、認める人もほとんどいないと思います


逆にデートの際に、オシャレというか、相手が自分の好みのファッションで来てくれたとしたら、それだけでまず好感度上がりませんか?

それって、極々自然の事じゃないですか

それとも、そういうファッションを素敵と伝えるのもいけないんでしょうか?

だとしたら、全世界のデザイナーの仕事を全否定する事ですし、無論、相手が半裸どころか全裸で来ても受け入れるべきですし、自分も服は無地の一着でいいって事ですよね?


また別の例で言うと、もし今アナタの目の前に


目はうつろ。髪はくぐしゃぐしゃ。もしくは、スキンヘッド
顔には無精ひげ。腕には刺青。ボロボロの服を着て、背は猫背


こんな人が来たらどう思いますか?

ちょっと距離置きたくなりませんか?
そんな人が

『ああああああああ!』

とか、いきなり声かけてきたら、逃げ出したくなりませんか?
それとも、そこも見た目で判断せずに接しないといけないんでしょうか?



そうなんです。見た目で判断するなとは、こういう事なんです

何も特別な事は言ってません

外見で判断するなという考えが、いかに『オカシイ事』かという事です

 

B・のび太はジャイ子と結婚すべきなのか?

ドラえもんの主人公であるのび太は、しずかちゃんが好きですよね
でも、ジャイ子の事は好きじゃありません

なぜか?

しずかちゃんは可愛くて、ジャイ子は可愛くないから

と、いう、シンプルな理由です
特にまだ小学生ですし、それ以外の理由なんて特にはないでしょう

(ちなみに、しずかちゃんは特に性格も悪くないです。
あれだけ何度も風呂のぞかれても、のび太許してるぐらいですし www)

 

けれど、ルッキズムを反対する人からしたら、これも良くない事なんでしょう

しずかちゃんもジャイ子も同じように中身で見なければいけない

そういう理屈ですよね?




分かりました

では想像してみて下さい


例えば、アナタの目の前に『生理的に無理な相手』がいたとします
(例えば、デブで、髪もボサボサで肩回りもフケだらけ。顏は無精ひげだらけで、油ギトギトで、なめまわすようなジトジトした視線)

その相手がアナタを口説いてきました

そして、アナタは断りしました


そしたらその相手がこう言ってきたんです

『俺のどこがダメなの?○○の事誰よりも好きだし、キミの為なら何でもする。だから俺と付き合ってくれ』



申し訳ないけど、ハッキリ言ってキモくないですか?


キモくない?好きになってくれるなら誰でもいい?

はーーーー。。。
それはそれで、ルッキズムとは違う面でちょっと心が大変な状態になってる可能性があるから、一旦、自分を大切にした方がいいと思います



でも、これが逆に、自分の超タイプの人から言われたとしたら、どうでしょうか?

自分の超タイプの人を想像してみてください



その人がアナタを口説いてきました
けれど、アナタは断りました

簡単になびきたくなかったからです

そしたらその人はアナタにこう言ってきました


『俺のどこがダメなの?○○の事誰よりも好きだし、キミの為なら何でもする。だから俺と付き合ってくれ』


さっきと同じセリフですか、いかかでしたでしょうか?

受ける印象、まるで違いませんか?


なんか、キュンとすらしちゃいませんでしたか? www


そして逆に、最初の『生理的に無理な相手』に対しては、怒りが湧きませんでしたか?




それが自然なんです

何も、アナタが悪い人なわけではないんです


むしろ。。。

『自然な心を無理やり変えろという、ムチャムチャな事を要求してくる方が悪なんです』



食品も天然がいいと言われてますし着る物だってそう

頑張るな。無理をするな、させるな。過度な命令干渉はパワハラだ


と、言っているにも関わらず、なんでこの気持ちには、こんなにムチャムチャ『不自然』な事を要求していいと思うのか?


それはただの嫉妬ですよね?

醜い行為なので、辞めた方が自分も周りも幸せになると思います


C・自由な体型でいいけど、受け入れるかどうかも相手の自由

ここが今日一番、覚えておいて欲しい所の一つです

仮にアンチルッキズムがこのまま浸透していったとしても、人が『見た目を重視する事は変わらない』という事です

もちろん、見た目が関係ない所での差別は表面上減っていく可能性はあります

それは素晴らしい事ですし、広めていくべきです


ただ、人が見た目の美しさで人を選ぶ気持ちは『制度ではなくせません』

なぜなら、自然の心の方が人工物より偉大な存在だからです
美しいモノは美しいし、可愛いモノは可愛い。綺麗なモノは綺麗と感じるんです



これも、何も特別な事は言ってません

自然の気持ちで生きて、何がいけないの?

いくらこんな『アンチルッキズム』を広めても、見た目を無視して、相手に自分を受け入れてもらおうとしても無理ですよ
そんなのは自然に反してますよ

と、いうシンプルな話です


そしてなにより、自分は『体型を自由』にしてよくて、相手には『評価の自由』を許さない
自分を受け入れない人をルッキズムだと叩く

それはオカシイ。矛盾してますよ。って話です

 

5・見た目で差別しちゃいけないのは『人として当たり前だ』

これも超シンプル

『人を見た目で差別しないのは人として当たり前』と、いう事です


これは、今まで伝えてきた事と『真逆』に感じる人もいるかもしれません

けど、なんら矛盾してません


これまで伝えてきたのは

『恋愛や美や性の対象としてルッキズムは当たり前』
『それを否定するのは不自然極まりない』

と、いう話です


ただ人として
『それ以外の場面で差別したりするのは最低だ』という事です



それ以外というのは、美醜が関係ない場面で
と、いう意味です


男や女、LGTBQ+である前に『人』じゃないですか

そこで差別は絶対ダメだと思います


シンプルに『ダサい』し『不幸を創る』からです





例えば、職場は仕事する場所ですよね
そこに本来、美醜なんて関係ありません

大切なのは、その人が人として信用出来て、仕事が出来るかどうかだけです

むしろ、そこに可愛さとか持ち込むヤツは、マジで嫌いです
そういう人とは、自分も戦ってきてます



例えば以前、自分がいた部署に、2人の女の子がいました

Aさんは見た目が愛らしく、みんなから○○ちゃん
と、呼ばれ、その子がちょっとなんか言うと、男達がほいほい世話してました

それに対し、Bさんは残念ながら可愛いとは言えず、みんなから○○
と、呼ばれ、少なくともAさんよりは遥かに雑な扱いを受けてました


なので、自分はそれが本当にムカついたので、逆にAさんの事は、○○太郎とか○○助とか呼んで、むしろ下げてました
他の男がチヤホヤしてる分、調子乗ってたからです

そして逆にBさんには☆☆☆☆と、いう可愛いあだ名をつけて浸透させました

その結果、Bさんへの周りの接し方が、少し変わりました

もちろん、最初Bさんにあだ名をつける時は、ちょっと恥ずかしかったです
けど、結果それでBさんの接し方も以前と変わったので、本当に良かったと思ってます

 


6・見た目は不幸を生まない。不幸を生むのは『外見を気にする卑屈な心』

 

ニャンス
 

言わんとしてる事は分かったけど、タイトルの回収がされてないニャ

そう!なんで、アンチルッキズム者がルッキズムの一番の信望者なん?

ヒヨコ
 
リーマン・マスク
 

うん。2人の言う通り

そこがまだ回収されていないよな

なので、今から伝えるよ

『ルッキズムへの呪い』を解くために



A・『表現』は自由だ。そして『評価』も自由だ

まず、先ほど伝えたように、外見による『いわれなき差別』

これは絶対に辞めるべきですし、するべきではありません

『理不尽』な行為は不幸を生むからです

 

 

ただ、それとは別に『外見による評価』

この『全てを否定する事』も、また辞めるべきだと思います

それは、さっき伝えたように『不自然』だからです

不自然に歪ませた心は不幸を生みます

 

 

なので、ルッキズムに囚われない為には、どうしたらいいのか?

 

その答は

 

 

 

『ただ自分の容姿・表現・思想を肯定する』

 

それだけして
『他人にその価値観の賛同を求めない』

本当にこれだけなんです

 

 

自分の体型やメイクをどうしたいかなんて、他人に委ねる必要はないです

どういう表現も自由じゃないですか

 

けど、同時に自分の表現を他者がどういう評価や判断をしても『それも相手の自由』であるという事を、ちゃんと覚悟しなきゃいけない

 

なぜなら、自分だけ自由にして、相手に自由にさせないのは『アンフェア』だからです

 

そんなん、自分は相手を殴るけど、殴られるのはイヤだと言ってるのと一緒

 

 

 

ガキか www

 

自分の事を、何でもかんでも他者に認めてもらおうなんて甘すぎる

他者に認められても認められなくても、自分のいいと思った事を貫いていくのが、自分の人生を生きていくって事です


 

 

 

いいじゃないですか

自分が自分を良いと思えたら

 

誰にどう言われても、自分がいいと思うなら、それを貫いたらいいんです

 

自分の容姿が気にくわないなら、整形したらいい

 

 

けど、どんな容姿になろうとも、万人に認めてもらえるなんて無い

 

みんな好みが違うからです

 

 

ちなみに自分を例に出すと、沢尻エリカがエリカ様とか言われていた当時、自分は彼女の事を全く可愛いと思いませんでした

 

性格とかじゃないです
沢尻エリカとは話した事無いんで、彼女の性格は知りません

 

 

ただ、純粋に顔が全く好みじゃないです

 

 

なので自分からしたら、なんで彼女があんなに人気があるのかマジで意味不明

 

 

整った顔してて、特徴がない
だからグッとこない

 

 

それよりも、新山千春の方がずっと可愛い





明るくいい子そうだけど、したたかで自由そうな、ちょっと悪そうな目

 

 

可愛い

 

沢尻なんて比べもんにならない

 

 

けど、世間でどっちが人気あるか?
(事件が無かったとしたら)

 

 

どっちが可愛いと思う人が多いかといえば、ダンチで沢尻エリカ

 

 

でも、そんなん知ったこっちゃないし、同時に、沢尻エリカ好きな人に、新山千春や熊田曜子の方を可愛いと認めろなんて事も思いません

 

また逆に、沢尻エリカに比べたら新山千春なんて可愛くないと言われても、そんなんどうでもいいです

 

自分の好みだから


自己表現や自分の外見の事も、これと全く同じです

人からの評価なんて気にせず、自分の事を自分が肯定出来たらそれでいいんです


ただ何度も言うように、評価が自由だからと言って

『見た目が関係無い場面』で差別したりイジメたりするのは本当に最低です

 

みんな見た目も好みも考えもが違う一人の人間

 

だから、そんなん気にせずみんなで楽しくしたらいいじゃん

 

好みや思想を押し付けず、お互い違うから楽しいし、自分の心のままに生きてたら、自然と仲良く出来るんだって

部活と一緒

バスケ部がよくて、漫研がダメとかじゃないんだって
自分が好きな部活に入るだけ


 

そうすれば世界も平和

価値観を押し付けるから戦争にもなるんです

人間らしく、楽しくいきましょ

 

B・アンチルッキズムの人こそが、一番の外見至上主義者です

さて、ここまで読んでくれた方なら『他人に自分の価値観を押し付ける事』こそが、不幸を創り出す事だと理解して頂けたと思います

そしてここに、ルッキズム問題について理解をしておくべき、大きなポイントがあります

それは
『アンチルッキズムの人こそが、一番の外見至上主義だ』という事です


なぜそう言えるのか?


 

 

 

なんでだと思いますか?

 

 

それは、アンチルッキズムの人達は
『外見で評価する事に、異常なまでに反対するから』です





ん?それがルッキズム問題を解決しようとする考えをしてるからじゃないの?


と、思うかもしれませんが、違います

ここ、大事なところなんです



ルッキズムにもアンチルッキズムにもならないのは、どんな人達か?

と、いう事についてです



まず、人を外見『だけで』判断しない人達は、ルッキズムには当然なりませんよね
なぜなら彼らは『見た目も含めて』判断するからです


見た目で判断ではなく『見た目も含めて』
と、いう部分が、このルッキズム問題について重要なポイントです


自然な心で生きてるから、見た目も含めた総合で判断する

見た目は絶対基準じゃないけど『基準の一つ』としてはある



だから、アンチルッキズムにもならない

こういう人達です




でも、アンチルッキズムの人は何を主張してるか?

『見た目の判断を全てなくせ!それをなくせば平和になる』


と、言ってます


これは裏を返したらどういう事か分かりますか?


そうなんです


彼らアンチルッキズムの人達は

『見た目の判断に一番の価値(パワー・比重)を置いてる』んです


彼らが『総合力(多様な価値観)』ではなく、見た目に一番の判断を置いてる証明です


そう思っていなければ『一つの価値基準を壊そう』なんて思わないんです




例えばですけど、アナタが営業マンだとしましょう

そして、頑張ってるけど、なかなか営業成績が伸びていないとします
内心悔しい。数字を取りたい。でも取れない


そんな想いで過ごしていたとします



そんな時、自分の同期が営業成績で抜群の成績を上げてきました

そして、その同期はみんなからこう言われてます


彼はメチャメチャ数字やってるね!彼は凄い人だね!
と。。。


そして、みんなから認められています




はい


ここでアナタはその人を見て『何て周りに言いたくなりますか?』



そうですよね


『営業成績だけで人を判断してんじゃねーよ!』

これですよね www



なぜそう思ったか?なぜそんな言葉が出てきたのか?


それは『アナタが営業成績に一番の価値を置いてる』からです

だからこそ、叩きたくなる


そして、自分がその戦いには勝てないからこう言いだします

『数字で人を差別するなんて最低だ』と



この一見もっともらしい事を言っておいて、それは営業成績で勝てない事を隠す為の『隠れ蓑』にしかすぎません


最も卑屈で矮小な自己防衛です



逆にアナタが営業成績は『価値基準の一つ』で、人には様々な価値基準がある
と、考える人だったとしたらどうでしょうか?



きっと、素晴らしい成績を上げた営業マンの事を純粋に凄いと思い、その人に直接

『凄いですね!おめでとうございます!』

と、讃えにいくと思います



さて、前者と後者

どちらが自分と周りに幸せを創れているでしょうか?


アナタが一緒にいたいと思うのはどちらの人間ですか?



アンチルッキズムの人がしているのは完全に前者の人と同じです


だから最初に違和感を感じるんです



外見での判断基準をなくそう!


と、もっともらしい事が、実は自分の保身の為の隠れ蓑だからです




カッコわるっ wwwwwww

 

C・不幸は外見のせいじゃない。外見のせいにする『卑屈な考え』が根本原因です

いかかでしたでしょうか?


前項で、隠れ蓑だと理解出来ましたか?



最後に、その隠れ蓑は『実は全然必要ない』

と、いう事を伝えて終わりにします



アンチルッキズムを進める人に伝えます




外見が不幸の原因ではないよ

問題は

『外見のせいにして自分で自分を卑下する不自然な心』




これが不幸の原因なんです


この歪んだ心は、自分を認めないという不幸を創り出します

自分を認めない人から出てくる考えとオーラは『怨』です


誰が近寄りますか?

誰が仲良くしたいと思いますか?

誰が助けたいと思いますか?



そもそも、よっぽどでない限り外見なんて大差はありませんから



アナタと同レベルの人は、世界に溢れています


けど、同じ容姿のレベルの人でも、みんなと楽しくしてたり、恋人も何人もいる人もいるんです

金があってもなくてもです


それは、その人が外見に一番の価値を置かず、自然な気持ちで生きているからです

 

 

 

今の時代、確かに街もテレビもSNSも、見た目が幸せを決める大きな要素だという『メッセージ』が、至るところに溢れています

 

そして、恋愛や結婚から日常生活に至るまで、そういう場面が多々あり、それによって『差別される人』が生まれているのも事実です

 

 

何より、外見が良い人は『それだけで特をしているかのように見える』場面もあると思います

 



けれど、実はそーじゃないんです

 

 

外見が良かろうと、モテない人はたくさんいますし、モテて、色んな場面で得してるように見えても、本当に好きな人からは愛されなかったり、見た目がいい事で勝手に期待されて、そのイメージに合わないと勝手に失望されたりする事だってあるんです

 

そういった事を想像した事がありますか?

 

 

 

見た目がいいからって、必ず幸せかなんて決まってないんです

 



もし今見た目のせいで不幸だと思っていたとしたら、それは見た目のせいじゃなく『見た目のせいにして』自分はダメだという殻に閉じ込もり『自分自身を勝手に規定してしまう呪い』をかけてしまっているからなんです!

 

 

なので、ルッキズムをなくせば幸せになれる?

 

 

大きな勘違いです

 

 

仮にそれをなくしたとしても、新たな別の価値観が出てくるだけ

 

 

自分を『足りないモノのせいにして』卑屈になり、自身を磨いて楽しむ事を怠る

 

その結果、本来楽しんで幸せになる為の要素が世界からどんどんなくなり『努力』『工夫』『成功する』という風潮から『怠惰』『維持』『清貧』の思想が蔓延し、よりつまらない閉塞感に満ちた世界が出来ていく

 

 

こんな閉塞感を出してる場合じゃねーだろ!

アナタも。俺も。今の日本も

 

 

 

そんなにひっそり生きたきゃ1人でやってくれ

 

殻に閉じこもるのが正しいなんて価値観で、明るく楽しく生きようとしてる人の邪魔をすんなよ




これまでの日本は、みんな(大多数の低階層)が苦しいから『清貧』で『目立たず』『みんなと同じようにする』

その流れがさらに加速してきてるけど、この流れの先には不幸と衰退しかない



もちろん、みんなと同じがいい場合もあるから、それはそれで一つの価値として認めた方がいいです


ただその上で、これからは『みんな違うから尊重し合う』の思考に切り替えが必要です


そして、価値観の違う人を叩くよりも、このルッキズム問題であれば『見た目のよさからくる価値』も素直に認めて、自分の好きな事をただ突き詰めて楽しんでいく

見た目の表現も、個々が自分の好きに行って、他者に認めてもらおうとは思わない


そういう新しい流れに変える事が、今必要な事の一つなんです




第一、どんどん窮屈な世界にして、あれもこれもダメにしていったら、最終的には何を否定していくんでしょう?


人間そのものにいきつくかもしれません



それに、アンチルッキズムのように自然の心からくる価値観を壊そうとするのは、アレです


昔からいる『典型的な悪』です




よく登場するじゃないですか。漫画とかで


『人間は愚かで醜い。だから我々によって滅ぼされるべきなんだ!』

みたいな悪役 www


それと一緒です



『見た目で判断は不幸を生む。だから見た目での判断そのモノを滅ぼすべきだ!』

同じ構造ですよね




囚われないでください

見た目の美醜での判断は、人間の自然の心の動きですが、同時に、ただの『一つの価値基準でしかない』のですから




じゃあ、ここからもニューグッドな一日を!